« 「青少年インターネット規制法案」にNoと言おう。 | トップページ | もう自殺じゃない、自爆だ。 »

2008年4月27日 (日)

「ALIVE」全公演、無事終了。

リンク: 劇団32口径.
最初に書いておきたい。これだけは、どうしても。

mixiで「安易な自殺」に関する日記を書いた時、
次のようなコメントを頂戴しました。

「(人は)生きる権利はあるが、生きる義務はない」と。

今の僕なら、堂々と言えます。

「どんな理由があれ、生まれてきた人間には全て、
 人生をまっとうする義務がある」

何億分の一という確率を潜り抜け、母胎の中で
受精することによって人間は作られていきます。
例え自分の明確な意思では無いとしても、
「生まれ出たい」という本能がそうさせます。

人間とは、そういう本能も理性も含めた存在じゃないでしょうか。
受精の段階で数億の命を死に追いやり、生まれた後も
食事という行為で、大量の生命をとり込んでいく。
人間の命は、そうした犠牲の上に成り立っています。
犠牲になった命の全てとは言わないまでも、その一部でも
背負って生きる責任が、人間には生じると思います。

だから「生まれてこなきゃよかった」だの、
「産んでくれと頼んだ覚えは無い」だの、
精神的に子供である人のよく言うセリフを
僕は全存在をかけて否定します。

さて、本題。

「ALIVE」のストーリーには、「パンドラの箱」の
要素が含まれているように感じています。

主人公の少女は、親友だと信じていた人間に騙されて
「箱」を開けてしまい、ありとあらゆる災厄に見舞われる。
だが最後に残った希望によって救われる。その希望も、
「幼なじみの自己犠牲」という形ではあるのですが。

一方、社会に潜む「悪や悪意」は滅びることが無く、
「ドメスティック・バイオレンスによる心の傷」
「ひとりで悪に立ち向かい続ける者の姿」、
「巨悪によって滅ぼされる前に命を絶つ若者たち」が
並行して描かれます。

良く考えてみれば、物語は「めでたしめでたし」で
終わってはいません。そう見えるかも知れませんが、
主人公の体内にはHIVウィルスが発症しないまま残っており、
彼女が産んだ子供に感染している可能性も残したまま。

それでも、新たな家族と共に「生きること(ALIVE)」を
選択した主人公に、もはや迷いはありません。
その清々しさと前向きな姿勢が、観るものに爽やかな感動を
呼び起こすのです。


来年のテレビドラマ化を前提に制作された、舞台版「ALIVE」。
その難産ぶりは、脚本&演出のMARUさんを初め、
役者さんやスタッフの皆さんのブログ、またはmixiでの日記を
ご一読いただくのが良いでしょう。

今回の公演に携わった全ての人々に、深く感謝を申し上げます。
良い週末を過ごすことができました。

つたない文で「ごめんなさい」。

素敵な時間を「ありがとう」。

|

« 「青少年インターネット規制法案」にNoと言おう。 | トップページ | もう自殺じゃない、自爆だ。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/11112/20607585

この記事へのトラックバック一覧です: 「ALIVE」全公演、無事終了。:

« 「青少年インターネット規制法案」にNoと言おう。 | トップページ | もう自殺じゃない、自爆だ。 »